KLAUSE         

ベルリン点描                

ホテル・アドロンをブランデンブルグ門方向から望む。ヴィルヘルムシュトラーセとウンター=デン=リンデンとの交差点際に立つ ホテル・アドロンは戦後間もなく接収中にソ連兵の失火により全焼した。現在の建物は1997年に再建されて営業を再開した。ケンピンスキーグループの最高 に位置付けられている。

Dez.1999,Berlin-Unter dem Linden

現在のホテル・アドロンのウンター=デン=リンデン側入口

旧司法省。現在でも当時のアドラーが正面屋上 に残っている。スワスチカは撤去されているDez.1999,Berlin-Wilhelmstrasse

右の写真の建物は、アクセル=シュプリンガー出版社本社。戦前からの大出版社である。建物の表側の通りなどは アクセル=シュプリンガー=シュトラーセと名ずけられているほど。ベルリナー=モルゲンポスト紙の発行元でもある、これまた有名なウルシュタイン出版社の 親会社である。この、ウルシュタインの写真部は膨大なコレクションがあり、ミリタリー関係の洋書でも、ウルシュタインのクレジット付きの写真を多く見かけ る。ここの建物内部のエレベーターは戦前のものが一部まだ使用されており、興味深い。 Sep.1997、Berlin-Axelspringerstrasse

左の写真はコッホ=シュトラーセ付近の空き地に放置されていた、東独時代の国境監視塔の残骸。ベルリンの壁崩壊後は、壁に沿っ て設けられていた国境監視塔や、検問所なども撤去された。一部は保存されている場合もあるが、大部分は処分に困り、とりあえず空き地などに放置されてい た。もし、持ち帰れるなら、持ち帰っても良いということであったが、あまりに重く、断念。一時期、オークションに出品されたり、これを砕いて、お土産とし て売っていた。Sep.1997,Berlin-Kochstrasse

ベルリン警視庁の壁レリーフ。スワスチカはない。Dez.1999,Berlin- Tempelhof


Feb.1996,Berlin-Niederkirchnerstrasse

上の写真三点はいずれも旧プリンツ=アルプレヒト通り8番地、国家保安本部跡地。
左から、跡地に建設された「Topogarphie des Terrors」入り口。現在は仮称「Gestapo-Museum」建設計画のため反対側からしか入れない。(1999年12月)この 「Topographie des Terrors」は地下一階・地上一階の、平屋風建物で、国家保安本部の全容をコンパクトに展示したものとしては非常に優れている。ドイツ各地のみならず 各国からの観光客で賑わっていた。なかでも国家保安本部(すなわちゲスターポ)の地下の一部がそのまま展示室となっており、取り調べ室、シャワー室(!) などの跡に立つ事が出来る。さらに、治安系幹部らの説明パネルがデカデカと設置されており、一人つ”つ顔写真付きなのがうれしい。エーリンガーSS准将と かマイジンガーSS准将などのどアップもある。(展示の感じが「ドクメンタ」のようだ!)また、史料閲覧コーナーがあり、日本では考えられないようなもの まで自由に見る事ができる。学部レベルなら十分であろう。(だって「Generalplan Ost」もありました。もっと早く行っておけば!)
中の写真はやはり、国家保安本部地下の留置場跡。7月20日事件で逮捕された人達も多く入れられたという。特に「7月20日事件解明委員会」委員長とし て、大物容疑者を自ら尋問したのが国家保安本部第4局長ミュラーSS中将である。この地下留置場に拘置されてミュラー直々に取り調べられた容疑者で、生き て還った者はいない。合掌。
右は、旧プリンツ=アルプレヒト通り側から跡地を望む。つまりこちら側は東ベルリンであった。目の前の壁は「ベルリンの壁」である。この部分の壁は一部永 久保存されるという。現在ベルリンは再開発が進んでおり、壁は殆ど撤去された。しかし道路上に壁の位置を示す線を設けるなど、悲劇の時代を長く後世に伝え る努力がなされている。もちろん、様々な思惑や批判もあるだろうが、兎に角ナチス時代・冷戦時代を含め、自国の歴史を伝えようとする姿勢は評価できよう。 翻って、極東軍事裁判の痕跡さえ消し去る国でたとえば「憲兵博物館」や「特高史料館」(入場・閲覧自由)など考えられるであろうか?

現在も殆ど無傷で残る旧航空省/空軍総司令部(空軍参謀本部)。連邦政府のベルリン移転に伴い、連邦大蔵省としてそのまま使用さ れている。若干の改装、例えば外壁の塗り替えなどは行われていた(1999年12月現在)が、その迫力はすごい。ものすごく失礼かつ危険な事だが、ここで 「写真撮影」すればもう本物!できれば大作映画で是非ロケで使って欲しいものである。しかし、ゲーリングのこの建物はナチ時代では、どの官庁より巨大では ないか?敷地跡からすると総統官邸と首相官邸を合わせたより2倍はある。これにくらべると旧内務省や国家保安本部など交番のようだ。しかし、かならずしも 大きさに権限が比例しないのがすこし悲しい・・・。
Feb.1996,Berlin-Wilhelmstrasse 後日談である。この建物が映画「ワルキューレ」(トム・クルーズ主演)のロケで使われた。